代表挨拶

還暦まで秒読み只今、58の坂7合目

昭和38年7月20日生まれ 卯年 蟹座 A型。

健康の秘訣は、「温泉・納豆・ウォーキングにあり」ということを発見し、最近増すます額の艶に磨きがかかる3代目若大将、代表の椛島です。

 さて振り返れば(株)椛島印刷も創業からおよそ70年。想えば40年前「おら印刷やけろんせんばん。おら映画監督になるけんちょっと東京さんいたっくる」と言って上京し「やっぱ難しかったばん」といって帰郷し早30数年の月日が流れた。平成24年に父が他界し、法人化して今年で8年目に突入。時代が令和となりコロナ禍を経験し時代が変化する中、今年はいろいろな意味で節目のとしとなります。

 そこで遅蒔きながら、ホームページを作成しお客様のニーズに「早く・正しく・美しく・わかりやすく」応え、日々創意と工夫に心がけ、個人の成長と社会の成長に貢献します。「魅力なき企業に需要なし」できる出来ないにかかわらず、夢を描き目標を持ち計画を立て、日付けを付けて「夢を予定に」できれば叶ったも同然。

アクションを起こすことが何よりも大切だと考えています

代表取締役
椛島 博規

会社の経営方針

1.お客様のニーズに応える仕事をする。
2.お客様のニーズを創る仕事をする。
3.仕事を通して信頼される人となり信頼される個人と会社と社会を築き上げる

行動指針

即整理・即返答・即実行

沿革

創業昭和25年頃。戦後間もなく先々代の椛島光太郎が、戦後の混乱期に、三池郡高田町濃施(国鉄渡瀬駅の東側)で活版所を始めたのが椛島印刷の始まりです。その当時活版印刷というのは、今でいうIT業を先駆けて始めたようなもので、新しもの好きでハイカラな祖父であったらしい。

そんな跡を継いだ 先代(父 世祖博)は、地味で真面目だけが取り柄で、祖父から活版技術を習得し、たかた町政元年の三池郡高田町の広報たかたの第一号を担当しています。昭和40年5月15日の発行です。今は全てパソコンで文字や写真をレイアウトするのですが、その当時は、全て活字で組み、写真も銅版でできていて、活版印刷で1人前になるまで最低10年はかかるは職人技でした。

今は時代が移り変わり、デジタル化が進みカラー化、短納期、小ロット化、多様化に対応できないと生き残れない時代になってきました。

少数精鋭で立ち向かう(株)椛島印刷の悪戦苦闘ぶりを少しだけホームページに載せてみました。どうぞご覧ください。

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